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先輩に聞こうⅠ

2017年6月3日(土)宿泊研修会
(於)リザンシーパークホテル谷茶ベイ

司会 大屋記子(29期) 30周年記念を機に先輩の声を直接聞きたいという要望が会員の中から上がりまして、この声に応える意味で「翼アーカイブス・先輩に聞こう」の企画を広報部会で実施することになりました。
 今日は3名の先輩の方にトークリレーをお願いしました。お忙しい中、快く引き受けてくださった先輩の皆様には感謝申し上げます。お一人10分でお願いしてあります。
 トップバッターとして、第1期生の中村よねさんです。中村さんは1984年9月6日アセアンの4か国に行かれました。また沖縄県女性税理士の第1号であり、これまで多くの団体の立ち上げに関わり後輩の育成にもご尽力されています。中村さんよろしくお願いします。

中村よね(1期) 1984年、今から33年前に翼の会1期生としてアセアンに会員22名で出発しました。現在1期生は8名だけになっています。本日は大城貴代子さんと私の二人だけが参加しております。
 翼の会の30年の歩みに称賛、反省、今後の課題について触れてみたいと思います。
 先ず称賛したいのは、1984年から33年にわたり、483名もの会員を沖縄県女性海外セミナーに参加させて、この事業を継続してくださったことです。皆さんのご苦労と努力に深く感謝します。
 国際交流事業を推進することはいろいろな国と友好を保つことで至難の業です。沖縄は台湾、韓国、中国、アセアン、そういう国と琉球王国時代から歴史的交流の深い国です。祖先の残した遺産を大切に、緊密な交流と人間関係を構築していただきたいと思います。
 翼の会の役割は今後ますます大きくなる可能性があります。未来に向かって夢を抱き努力する会員が徐々に集結しつつあるからです。もともと沖縄県民には天性の国際性があると私は信じております。自由と平等を尊重して生きる素晴らしい人材を養成してほしいと思います。
 国際平和に貢献できる人材を養成するためには今後そのための環境と資金が必要となります。次の世代にバトンタッチするためには各分野の有能な人材を養成する皆様の勇気と知恵との結集が必要だと思います。
 そのために30周年を記念して100年の計画を立てるべきだと思います。
「明日の翼基金」をどれくらい作り出してゆけるかが今後の課題です。100年の間にどのくらい計画を立てて基金を活用して人材を養成していくかが大変期待されるところです。若い方々に一層の奮起と努力を願ってやみません。この辺で失礼します。有難うございます。

司会 次は3期の翁長孝枝さんです。
 翁長さんは県教育委員長、沖縄女子短期大学女性学など担当し、昨年県功労賞を受賞されました。現在「那覇翼の会」副会長としてご活躍です。翁長さんよろしくお願いします。

翁長孝枝(3期) 皆様こんにちは!私は3期の事務局長として参加しました。1期2期までは当時の沖縄県の女性トップリーダーの方たちに団員になっていただき、送り出した後で、3期目は一区切りついた時期だと思います。
 私にとって忘れられないのは沖婦連の赤嶺千尋会長が3期の団長として参加されたことです。当時私は直前まで県の女性相談所長でした。3期が出発したのは私が青少年婦人課に転勤した直後でした。ですから事務局を預かる立場としては本当に忙しい思いをしなければなりませんでした。アセアン4か国訪問ですから各国の駐日大使館を表敬訪問しあらかじめ滞在日程の調整をしてからの出発でした。
 3期は沖縄県婦人連合会を主たる引き受け団体として出発するという内容でしたので「沖婦連」で活躍しているリーダーや、民間で活躍する女性達の参加でした。5期ぐらいまではパイロット事業として全額県助成だったものですから私たちは恵まれた時期だったと思います。
 その時までは琉球新報か沖縄タイムスのどちらかの女性記者が同判するという特典のような恵まれた条件でした。研修先で出来事があると速報で沖縄の新聞に載るというような時期でした。3期は、沖縄タイムスの山城紀子記者でした。紀子さんのエピソードも沢山あるのですが何よりもパワーあふれる赤嶺千尋団長ですからすごく楽しい研修が出来ました。
 先ずはタイに向けて出発します。タイではタイ国社会福祉協議会との懇親会、婦人団体との交流、マレーシアでは青年団体との交流、インドネシアでは女性大臣との懇談、シンガポールでは病院訪問等が有り、みな張り切ったものです。
 夜婦人団体との交流会ではメンバーにデザイナーの仲井間文子さんが参加されていたので「沖縄の染めと織」を紹介するということで、仲井眞さんデザインの沖縄素材のファッションショーで盛り上げることになっていました。芭蕉布で作った服を着て赤嶺先生が踊る写真とか見てとっても懐かしい思いがしますが、ところがびっくりしたのは、インドネシア空港に到着した時、飛行機に乗せたで荷物が届かないんですよ。今晩ファッションショーあるのにどうする―?と事務局長の私は慌てました。
 荷物の積み残しがあり「次の便で送ります」ということでほっとしたものです。
 研修の間、1日ぐらい観光があって、「バリ島」に行ったんです。
 「バリ島」で、クチャ―ダンスというのに出会ったとき、全く懐かしく沖縄じゃないかと感じさせ、親しみを感じました。アセアン諸国どこに行ってもまるで「うちの向かいのおばさんの顔だ」、というようなまるでウチナ―ンチュとそっくりな人たちに出会います。そういった懐かしさと親しみを感じました。
 最後に、私が行ったのは3期ですから30年前なんですね。 今日の宿泊研修に参加し素晴らしい内容に、後輩の皆さんがまあここまで素晴らしく立派に「女性の翼の会」を支えてくださっていることに喜びを感じました。有難うございました。

司会 ラスト、アンカーは11期の富川朝美さんです。富川さんは宜野湾市民生委員の副会長を務めています。長年女団協の運営にもかかわり、昨年まで私達県翼の会の副会長としてもご活躍されました。富川さんよろしくお願いします。

富川朝美(11期) ご紹介にあずかりました富川朝美です。いつも先輩に甘えてばかりいたので「先輩」と言われるのは気恥ずかしくて恐縮しております。
 私は前年度まで3期6年間「翼の会」の役員を勤め、「翼の会」の役割その意義その成果を学ぶことが出来ました。
何よりも女性のパワーを身近に感じることができ多くの経験と皆様から多くのかたの助言を頂けましたこと感謝しております。役員退任後は宜野湾市の民生委員として住民相互のコミュニケーションを勧めながら子供から高齢者までが活発で生きがいのある安心して住める地域づくりを目指して忙しい日々を送っています。
 私は11期で、福祉先進国へ行ったメンバーです。現在お一人病気で亡くなりましたので、9名ですが、なかなか全員集合はありません。時々電話で交流しています。
 私は宜野湾市の女団協の会員として24年間関わっております。女団協結成4年目から13年間事務局長として長い間活動してきました。その一端をお話させていただきます。
 先ず女団協結成5年目に「女性模擬議会」を開催しました。男女平等社会づくりを目指して活発に活動してきました。その頃は「議場」は神聖な場所と言う理由で私達女性に議場を貸していただけませんでした。宜野湾市民会館の2階で中央公民館での開催でしたが、大成功でやってのけました。
また市長への毎年要請を行っています。その実績として二つほど紹介いたします。
 一つ目は女性団体の活動拠点として「女性センター」の設置を要求してきました。現在の人材育成交流センター「芽吹き」が完成しました。したのですが手狭で25人しか入らない会議室ということで、また更に要求しまして、現在100名以上が収容できる会場と調理室フィットネスルームのある「ふくふく」という建物が完成しました。「芽吹き」から通路で行き来できる建物が出来ました。
 それともう一つは通称「前原新町」の環境浄化の実現でした。付近住民の生活環境や児童生徒の健全育成に悪影響を及ぼしていることはご承知の通りでしたし、2009年8月に市内の関係団体の参加で「環境浄化市民総決起大会」が開催されて以来、私も先頭に立ち、女団協の多くの会員が積極的に参加し、警察署と連携しながら行政、自治会、議員、PTA、地元の青年会を巻き込み約3年間のパトロールを実施しました。それが功を奏しすべて閉店に追い込みました。その成果は県内メディア、全国紙にも報じられ多くの表彰を受けたことは女団協の認知、そして評価していただいた活動でした。
 決起後から現在まで、街づくりはまだ形として出来ていません。今後に注目しています。
 以上女団協の活動の一端を報告させてもらいました。
 「宜野湾市の翼の会」の会員の活動についてですが、先輩達が礎を作ってくださいました。
 現在でも女団協で三役とも「翼の会」のメンバーですし、宜野湾市の女性議員は過去から現在まで6名中5名が翼の会員です。特に最近はほかの女性団体の会長や役員に、人権擁護委員も「翼」の会員が多く担っています。
 私は沖縄県翼の会で得た経験が眞に地域で発揮されていると思います。
 私を育ててくださった先輩たちへの恩返しとして今後も新しく入会された会員からの刺激を受け今から未来に向けた課題に対応できるように精進し頑張りたいと思っています。今後もよろしくお願い申し上げ、これで終わります。

司会 これで3名の先輩方のお話を終わります。ありがとうございました。